2009年6月30日火曜日

これ、だ~れ?


最近、肩車がだいすきなたっくんです。

父は、肩車をしながら、上にのっかっている、たっくんにパシャリ。


しかし、ファインダー越しに撮っていないので、上手に撮れませんでした。


最近、たっくんも体重が重たくなったね。

ニイニより、よく食べます。

今日も、お風呂あがりに、裸でかき氷を食べていました。


大きくなりすぎたら、ニイニみたいに、肩車は、できないからね~。

父より。

2009年6月28日日曜日

じいちゃんへ


しんたろうじいちゃんへ。
いつも、ブログを楽しみにしていただき、ありがとうございます。

ニイニから、本日、誕生日のじいちゃんへ、バースディ・カードです。


インドア派?アウトドア派?




ニイニは、最近、おうちが大好き。


特に、小学校に通いだしてから、ドリルに夢中です。


父と母は、今日も、本屋さんに行って、ドリルを買わされました。


「小学校1年生算数」の夏休みバージョンです。


最近では、引き算も習い始めたので、いろいろと幅が広がっています。




また、実家からいただいたピアノで練習もしています。


最近では、「ロンドン橋」を両手でチャレンジ中!


来週のピアノレッスンで、先生にほめられるといいね。




一方、たっくんは、親が知らぬ間に外へ。


その姿を見て、父はびっくり。


さっきまで雨が降っていたからか、たっくんは、長靴をはいていました。


しかも、自分でげた箱から出して。。。


もう、雨がやんでいるけど、長靴を脱ぎたがらないたっくんでした。




たっくんへ。雨がやんだら、普通の靴にしましょう!






2009年6月21日日曜日

かわいい妹再び参戦!











昨日は、なこちゃんが、またまた我が家にやってきました。
そうなると、ニイニとたっくんは、今以上?におおはしゃぎ。

家の前で、とりあえず、1枚記念撮影です。
その後、近くの公園に行きました。
長~い滑り台は、3人のお気に入り。
「もう、帰るよ」という声もむなしく、3人ともケラケラ笑いながら、一緒に滑っていました
ニイニの持ってきたフラフープは、母が転がしてやると、3人一斉に「よーい、どん!」状態です。
フラフープめがけて、3人は、楽しそうに走り出しました。
その後、はーちゃんの家で、みんなは、お寿司をごちそうになりました。
何から何まで、楽しかった昨日でした。








2009年6月14日日曜日

最良の日
















今日は、ニイニ念願の「ポケモンショー」をモンキーパークに見に行きました。

もっと、早く行きたかったのですが、父や母の仕事や天候の関係で、遅れてしまいました。
今日は、30度を超す快晴!ほんとうに暑い日になりました。


たっくんは、大好きなナエトルの前で1枚パシャ。すっかり、ポケモン好きは、ニイニから受け継いでいるようです。



ボールプールでは、ボールを壁に向かって、子どもたちが必死に投げています。
あまりにも集中しすぎて、ニイニも暑がっていました。

また、ポケモンショーもありました。お姉さんの「皆さんおげんきですか~?」の声に、ニイニも「は~い」と元気よく答えていました。





最後は、ピカチュウと1枚パシャ。とても、充実した日でした。
よっぽど疲れたのか、午後8時10分には、ベッドの中へ。

きっと、今日の遊びは、子どもたちの夢の中で続いていることでしょう。

2009年6月13日土曜日

心で弾く

また一人、我々を感動させてくれるニュースが舞い込んだ。

バン・クライバーン国際ピアノコンクールで辻井伸行さんが優勝した。
しかも、彼は、生まれたときから全盲である。このコンクールは、チャイコの国際コンクールに匹敵するぐらい難関だ。もしかしたら、ピアニストならショパンコンクールと匹敵するという人もいるだろう。

彼の名前は、以前から伺っていた。確か、CDも何枚か出しているはずだ。

彼は、いう。「僕の場合は暗譜をしなければいけない。苦労しましたが、無事に弾けました」。
師である横山幸雄は、いう。「彼は、驚き以上の感動を与えるために、勉強を重ねてきた」。

「もし目が見えるとしたら?」との質問には「両親の顔を見たい。海とか花火とかも見てみたい。でも、今は心の目で見られるので十分満足しています」と答えた。

両親は、彼が生まれたときから心配をされたことだろう。
しかし、彼は、自身で自分の才能を見出し、よき師に恵まれ、勉強を積み重ね、世に認められた。

このコンクールでは、「目が見える」「見えない」は、関係ない。それだけに、クラシックの世界は厳しい。

ただ、辻井さんの演奏は、テクニックもさることながら、情緒豊かにその課題曲を表現した。これは、彼が「心で弾いた」からではないだろうか。

その辻井さんの「心」の源は、彼を気遣い、彼を大きな愛で包んできた、大好きな母親に対する思いから生れたものかもしれない。

辻井さんの益々のご活躍を、心よりご祈念申し上げます。
感動をありがとうございました。

いつか、コンサートやCDなどで、辻井さんの演奏に触れたいと思います。
また、私たちを感動させてください。


 

草刈り!


きょうは、朝から、ニイニの「子ども会」による、草刈りがありました。

親子草刈りということで、父とたっくんも参加です。


「よいしょ。よいしょ」と大きな草をぬきます。

父とニイニは、一生懸命、がんばりました!

たっくんは?  マイペースで頑張っていましたよ。

たっくんは、初めて軍手をしたようで、そちらのほうが気になっていました。
よく見ると、たっくんの軍手は、少し大きすぎたかな?


たった30分でしたが、公園は、見違えるほど、きれいになりました。

いつも、サッカーする公園なので、少しは恩返しができたかな。


ほくろ?




たっくんのお気に入りは、洗濯機の上。


いつも、母が歯を磨いたりしている洗面所がだいすきです。




でも、なにか、口がモゴモゴしていますよ~。


と、おもったら、口からなにかをだして、頬にくっつけました。




「あめ」です。


父が、大きな「いぼだね~」というと、たっくんは「ほくろ~」と大きな声で答えてくれました。




まだ、「いぼ」がわからないのかな。

2009年6月9日火曜日

かわいい妹と犬







一昨日は、近くの公園であそびました。
いとこのなこちゃんも加わり、レッツゴー!
いつもは、ニイニとたっくんという男同士で遊んでいますが、そこに女の子が加わると遊び方も違います。

すべり台も、楽しそう!やはり、ニイニから見ると、なこちゃんは、かわいい妹分なのでしょう。

公園で遊んでいると、見ず知らずの3歳の女の子が犬を連れてやってきました。
そして、その子も合流して、滑り台とかもしました。
その間、父は、女の子が連れてきた犬をもたされていました。

そこへ、興味津々のたっくんとなこちゃんが、父によってきます。
たっくんは、犬が恐いのか、すぐに「パパ~、犬もって~」とギブアップ。
なこちゃんは、犬が好きなのか、一緒に遊ぼうとしていました。

子どもたちは、すぐにお友達になり、何にでも興味を持つのですね。
いつまでも、子どものころの好奇心を忘れずに。

父より。



2009年6月7日日曜日

長い滑り台と水遊び







今日は、午前中、雨がぱらついていましたが、昼からは、快晴に恵まれました。



となると、息子たちは、公園に向かってGO!






最初から、長~いすべり台に乗って、ご覧の表情。






そして、いざ、水の中へ。



最初は、服も濡れずに、二人ともいい子で遊んでいましたが、次第に遊びもエスカレートしていきました。




最後は、頭から水をかぶったらしく、2人ともびしょぬれ。父にタオルで頭からふいてもらい、なんとか、息子2人は、風邪をひかずにすみそうです。



2009年6月1日月曜日

味の記憶

「人は、3歳までに食べた味を生涯記憶している」と、かつて聞いたことがある。
今日、家で鰻(ウナギ)を焼いて、そのことを思い出した。

父(私)は、ウナギ屋の3代目である。つまり、私からみた祖父は、鰻屋を営んでいた。
2代目で、誰も鰻屋を継がなかったので、その店は、繁盛していたのにもかかわらず、祖父が亡くなったのと同時に幕を下ろした。

幼少のころ、私も保育園帰りには、いつも祖父の店に立ち寄り、鰻はもちろんのこと、ドジョウなどを食べさせてもらった。今で考えれば、贅沢なことだ。

寡黙だった祖父の思い出は、ほとんど無い。祖父は、写真嫌いだったこともあり、アルバムを開いても唯一1枚、写真が残っているだけだ。

土用丑のときは、特に忙しかった。従兄とラジカセにマイクをつけ、お客さんを呼びこんだものだ。私の父は5人兄弟で、そのときは、ほとんどの兄弟が手伝いをした。

私は、焼くだけの関西風の鰻が好きだ。確かに関東風の鰻は、蒸すため、余分な脂がおちて、うまい。
鰻の種類も違う。
関東風では、蒸すため、比較的太い鰻を使うし、関西風では比較的細めだ。

かつて、祖父は、東京に修行に行っていたという。ということは、関東風だ。

しかし、謎がある。

関東風なら、背から包丁を入れる(これは、武士の切腹をイメージさせるのが嫌がられたためだといわれる)。確かに祖父は、背から包丁を入れた。しかし、蒸すことはしなかった。

そのため、私も焼いただけの鰻が大好きだ。

私の好きな店は、佇まいに古臭さが残るような鰻屋だ。
市内に1件ある。
ここは、昔ながらの「たまり」のタレだ。
舌に、ほどよい醤油辛さが残る。
ここの鰻を初めて食べたとき、懐かしさから涙がこぼれそうになった。

また、値段も手頃である。
鰻は、確かに希少なものになってきた。年々、その数は、減ってきているという。
そのため、ある程度、値が張るのは仕方がない。
しかし、そこに庶民感覚を忘れてはいけない。

私は、どうも「うな重」が好きになれない。
先日も妻と近所の鰻屋に行ったのだが、私は、きまって「ウナ丼」である。
丼ぶりの温かさとごはん、そして、アツアツの鰻がそこにのれば、この上ない、至福の時となる。

つまるところ、私の鰻に対する食べ方というのは、幼少のころから変わっていない。
少し辛めのタレ、焼くだけの鰻、そして丼物でいただくということ。
欲を言えば、皮が少し青味がかったものなら、言うことない。
私は、鰻に対して、いつもその味を求めている。

いつだったか、ある料理店で鰻をガスで焼いていた店があった。
思わず私は、「なんだ、ガスか」と言ってしまった。

祖父もそうであったように、職人なら、その道を極めてほしいと思う。
炭とガス焼きでは、遠赤外線効果によって、その美味さが全然違う。
ガス焼きなら、家でもできる。
「鰻屋」という看板を掲げるならば、家では味わえないものを出してほしいものだ。

最近、ある本に「その道を極めるには、1万時間が必要だ」とあった。

鰻の世界は違う。

「串打ち三年 裂き八年 焼き一生」

つまり、鰻を焼く職人は、一生修行ということだ。

いま、私は、寡黙だった祖父が遺してくれたタレを使い、家で鰻を焼く。
このタレをつかった鰻をいただくと、不思議なことに、今でも懐かしさがこみあげてくる。
まさに、味を記憶している証拠である。

現代、「効率化」や「欧米化」が進む食事スタイルの変化に伴い、「職人」と呼ばれる人たちの数が減ってきている。そのため、外食に出かけても、アルバイトが作った食事をいただくことも多い。
確かに、アルバイトの中にも優秀な料理人は、数多く存在する。しかし、マニュアルだけで、美味しい料理はできない。やはり、職人と呼ばれる人たちの、厳しい修業を経て、長年培ってきた「経験・技術」と「勘」がなければ、美味しい、本物の味は出せないのではないだろうか。

また、家の食事においても、「親の味」を知らずに育つ子どもが多い。どちらかと言えば、コンビニの弁当の味に慣れてしまっている子のほうが多いだろう。
今を生きる子どもたちは、コンビニ弁当やファーストフードの味が記憶され、親の味を知らずに育ってしまうことが多いのではないだろうか。
一方、我が家では、私の息子たち、つまり4代目に鰻のタレが引き継がれていくことになる。

前述のとおり、私は、祖父の記憶がほとんど残っていない。しかし、家で鰻を焼くたびに、祖父のことを思い出す。
先日も、職場の課長から、当時、祖父の店に行ったことを聞かされた。課長も、祖父の焼いた鰻のファンだったのだ。

美味しくて、本物の味というのは、人を喜ばせ、そして、いつまでも記憶に残る。
これこそが、真の豊かさでは、なかろうか。

幼少のころ、私に大切な味覚を与え、そして、貴重なタレを遺してくれた祖父に、感謝します。
ありがとうございました。