「人は、3歳までに食べた味を生涯記憶している」と、かつて聞いたことがある。
今日、家で鰻(ウナギ)を焼いて、そのことを思い出した。
父(私)は、ウナギ屋の3代目である。つまり、私からみた祖父は、鰻屋を営んでいた。
2代目で、誰も鰻屋を継がなかったので、その店は、繁盛していたのにもかかわらず、祖父が亡くなったのと同時に幕を下ろした。
幼少のころ、私も保育園帰りには、いつも祖父の店に立ち寄り、鰻はもちろんのこと、ドジョウなどを食べさせてもらった。今で考えれば、贅沢なことだ。
寡黙だった祖父の思い出は、ほとんど無い。祖父は、写真嫌いだったこともあり、アルバムを開いても唯一1枚、写真が残っているだけだ。
土用丑のときは、特に忙しかった。従兄とラジカセにマイクをつけ、お客さんを呼びこんだものだ。私の父は5人兄弟で、そのときは、ほとんどの兄弟が手伝いをした。
私は、焼くだけの関西風の鰻が好きだ。確かに関東風の鰻は、蒸すため、余分な脂がおちて、うまい。
鰻の種類も違う。
関東風では、蒸すため、比較的太い鰻を使うし、関西風では比較的細めだ。
かつて、祖父は、東京に修行に行っていたという。ということは、関東風だ。
しかし、謎がある。
関東風なら、背から包丁を入れる(これは、武士の切腹をイメージさせるのが嫌がられたためだといわれる)。確かに祖父は、背から包丁を入れた。しかし、蒸すことはしなかった。
そのため、私も焼いただけの鰻が大好きだ。
私の好きな店は、佇まいに古臭さが残るような鰻屋だ。
市内に1件ある。
ここは、昔ながらの「たまり」のタレだ。
舌に、ほどよい醤油辛さが残る。
ここの鰻を初めて食べたとき、懐かしさから涙がこぼれそうになった。
また、値段も手頃である。
鰻は、確かに希少なものになってきた。年々、その数は、減ってきているという。
そのため、ある程度、値が張るのは仕方がない。
しかし、そこに庶民感覚を忘れてはいけない。
私は、どうも「うな重」が好きになれない。
先日も妻と近所の鰻屋に行ったのだが、私は、きまって「ウナ丼」である。
丼ぶりの温かさとごはん、そして、アツアツの鰻がそこにのれば、この上ない、至福の時となる。
つまるところ、私の鰻に対する食べ方というのは、幼少のころから変わっていない。
少し辛めのタレ、焼くだけの鰻、そして丼物でいただくということ。
欲を言えば、皮が少し青味がかったものなら、言うことない。
私は、鰻に対して、いつもその味を求めている。
いつだったか、ある料理店で鰻をガスで焼いていた店があった。
思わず私は、「なんだ、ガスか」と言ってしまった。
祖父もそうであったように、職人なら、その道を極めてほしいと思う。
炭とガス焼きでは、遠赤外線効果によって、その美味さが全然違う。
ガス焼きなら、家でもできる。
「鰻屋」という看板を掲げるならば、家では味わえないものを出してほしいものだ。
最近、ある本に「その道を極めるには、1万時間が必要だ」とあった。
鰻の世界は違う。
「串打ち三年 裂き八年 焼き一生」
つまり、鰻を焼く職人は、一生修行ということだ。
いま、私は、寡黙だった祖父が遺してくれたタレを使い、家で鰻を焼く。
このタレをつかった鰻をいただくと、不思議なことに、今でも懐かしさがこみあげてくる。
まさに、味を記憶している証拠である。
現代、「効率化」や「欧米化」が進む食事スタイルの変化に伴い、「職人」と呼ばれる人たちの数が減ってきている。そのため、外食に出かけても、アルバイトが作った食事をいただくことも多い。
確かに、アルバイトの中にも優秀な料理人は、数多く存在する。しかし、マニュアルだけで、美味しい料理はできない。やはり、職人と呼ばれる人たちの、厳しい修業を経て、長年培ってきた「経験・技術」と「勘」がなければ、美味しい、本物の味は出せないのではないだろうか。
また、家の食事においても、「親の味」を知らずに育つ子どもが多い。どちらかと言えば、コンビニの弁当の味に慣れてしまっている子のほうが多いだろう。
今を生きる子どもたちは、コンビニ弁当やファーストフードの味が記憶され、親の味を知らずに育ってしまうことが多いのではないだろうか。
一方、我が家では、私の息子たち、つまり4代目に鰻のタレが引き継がれていくことになる。
前述のとおり、私は、祖父の記憶がほとんど残っていない。しかし、家で鰻を焼くたびに、祖父のことを思い出す。
先日も、職場の課長から、当時、祖父の店に行ったことを聞かされた。課長も、祖父の焼いた鰻のファンだったのだ。
美味しくて、本物の味というのは、人を喜ばせ、そして、いつまでも記憶に残る。
これこそが、真の豊かさでは、なかろうか。
幼少のころ、私に大切な味覚を与え、そして、貴重なタレを遺してくれた祖父に、感謝します。
ありがとうございました。