2011年1月22日土曜日

久しぶりのコンサート

最近、気になるピアニストがいた。
CDを聞いて、一度、生演奏を聴いてみたいと思っていた。
今日、その夢が叶った。
ピアニストの名は、河村尚子。ドイツを拠点に国際的な活動を広げている。

演目は、「主イエス・キリスト、われ汝を呼ぶ」BWV.639から始まる。
言わずと知れたJ.S.バッハの作品であるが、河村がピアノに触れると、会場内が一瞬にして、厳かな雰囲気となる。
続いて、演目は、ショパンの「3つのマズルカ」やピアノソナタ第2番へと続く。
特に、第2番に含まれる葬送行進曲は、しめやかな、そして重厚な悲しい響きが会場を埋め尽くす。
河村も、葬送行進曲を弾いているときは、激しさをおさえるかのように動きを止めながら、見事に第2番までを弾き切った。

後半は、オールリストプログラムだ。
リストと言えば、超絶技巧を用いなければ弾けない作曲家として有名だ。ピアニストの腕が試される。
そのなかで印象に残ったのは、シューマン(リスト編)の「献呈」は格調高く、言わずと知れた名曲、「愛の夢 第3番」では、一音一音紡がれるピアノの音色が愛おしく聞こえた。

最後は、リストの『「巡礼の年 第2年 イタリア」より ダンテを読んで』である。リストは、イタリアでダンテの叙事詩「神曲」などの文学作品に触れ、刺激されたという。この難局に挑んだ河村は、リストが高揚し、新しい文化に触れ感激している気持ちを見事、弾き切った。

現在、日本人によるクラシック界での活躍が目覚ましい。ベルリンフィルのコンサートマスターに選任された樫本大進をはじめ、ソプラノ界では幸田浩子や森麻季、指揮者ではベルリンフィルを振る佐渡裕、さらには、チャイコフスキー国際コンクールで優勝した諏訪内晶子や川久保賜紀、上原彩子、神尾真由子など、数えればきりがない。
彼らが活躍できるのは、日本人として初めてといっても過言でない、世界で活躍する場を切り開いた小澤征爾の存在を忘れてはならない。

アンコールでは、ショパンのノクターン20番などでこたえてくれた。会場内の止まぬ拍手にこたえてくれたのか、アンコールは、計4曲を数えた。
暗譜で全ての曲を弾いた河村尚子。どうして、このような才能に恵まれたのか。
将棋界の米長邦雄名人は言う。
その道を極めるためには、
「好きであること」「続けること」。そして、「高きを求めること」と。

本物の芸術に触れると、心がリフレッシュされ、感動以上の何かを得る。
それは、その芸術家の上辺だけでない、努力を積み重ねてきた魂にまで、触れることができるからであろう。

また、一人、これからの活躍を益々応援したくなったアーティストに出会えた。

河村尚子様
本日は、大変感動しました。
これから、益々のご活躍をご祈念申し上げます。

PS.一部、私的な、クラシカル音楽に対する独断的な解釈等が含まれていることを、ご了承ください。

2011年1月20日木曜日

雪やこんこん



1月16日。あまり、雪が降らない我が家にも、雪が舞い降りてきました。
午前中、少しの雪しか降らず、「こんなけか~」と思いました。
でも、こどもは、風の子。ということで、外で、父と雪合戦をしたり、雪だるまを作ったりしました。
少ししか雪が降らなかったので、雪だるまも、ほら、ごらんのとおり。
ペットボトルの蓋の目玉が、何とも言えず、愛くるしいものがあります。

でも、これから、数時間後。
雪は、本降りになりました。
その後も、雪だるまを作ったりしましたが、父は、ばあちゃんが新年会会場まで行って、帰ってこれないので(バスで行ったのですが、運行ダイヤが乱れ、バスが来なかったそうです)、父の自家用車で迎えに行ったりしました。


各地で雪の被害も出ているようですが、皆さんも、気を付けてくださいね。


優しいキス


父は、とう君が産まれてきてくれて、とっても嬉しく思います。
それは、家族、みんな同じ気持ちです。
父は、真ん中のたっくんが、とう君に母をとられちゃうので、どうなるのかなと心配していました。
でも、普段、甘えん坊のたっくんは、着実にお兄ちゃんになりつつあります。

たまに、母がたっくんを相手にしてくれないと「まま~」と甘えたりします。でも、父と母が思っていた以上に、たっくんは、とうくんのことを大事に思ってくれているようです。

それが証拠には、誰も教えたわけでもなく、たっくんが、とうくんのおでこに優しいキス。
実は、とうくんの誕生を誰よりも喜んでいるのかもしれません。
新しい命が家族の一員となったこと、そして、自分の宝物ができたこと。
たっくんなりに、いろいろな愛情を感じ取っているようです。
きっと、たっくんも、ニイニのように、いいお兄ちゃんになるね。


同学年!


1月10日は、1か月ほど早く産まれたりょうたろうくんが登場しました。
りょうたろうくんの母であるひーこおばちゃんは、赤ちゃんの足を見て、「ほそっ(細い)」
確かに、りょうたろうくんも予定日より10日遅れで、3900グラムを超えてうまれてきたためか、かなり太い足で、さらに、おおきくなっていました。
1か月違いで産まれたため、顔も判断付かずに、もし、うちのあかちゃんとまちがえたらどうしようと思っていた父ですが、その心配はなさそうです。
はっきりと、両者、個性あふれる顔になっていました。

しかし、1か月違いで、こんなにも違うか~と思った父でした。

また、この日、赤ちゃんの名前が決まりました。
「とういくん」です。
これから、とうくんと呼びますね。


ようこそ!


1月8日、夜。ついに、赤ちゃんは、我が家に入りました。
これから、この家で、どんなふうに成長して、巣立っていくのでしょうか。
赤ちゃんにとって、記念すべき、第一日目が始まりました。

でも、主役である赤ちゃんは、何も食べることができません。
そこで、ニイニとたっくんの大好きな蟹!を父は、奮発してしまいました(といって、足だけでしたが)。。。

でも、ニイニもたっくんも大満足の様子。
我が家の一員が増えたのだと、改めて実感する父でした。

これから、この家ともどもよろしくね!!

実家にて


退院したら、実家へいきました。
そこで、なんと、サプライズが。。。
なんとなんと、ケーキです。
まだ、この時点で名前が決まっていないので、「出産おめでとう」と書いてありました。

ところで、だれだ~。ケーキのイチゴばかりたべているのは。。。
もちろん、たっくん。
父のイチゴもじいちゃんのイチゴも、「ちょーだい」といって、パクパク食べていました。
お陰さまで、父は、イチゴなしのケーキをよばれましたが、美味しかったです。

ニイニは、ケーキが食べれないため、シュークリームを食べていました。

退院


1月8日(土)。ついに、退院のときがきました。
午前中、母と赤ちゃんの検査をして、特に異常なし。
最短で退院することができました。
これから、ニイニ二人がいるからうるさいぞ~。

ベビードレスは、ニイニ、そして、たっくんが退院のときに着たもの。
兄弟仲良く、このベビードレスを着ることができました。

退院の日は、すこぶる快晴。
ベビードレスを着せると「ニイニによく似てるね」と母。
確かに、ニイニに似ているようです。


2011年1月12日水曜日

げんきです

赤ちゃんは、出産時大変だったものの、あとは、元気ですくすく育っています。
お腹がすいた~。ねむた~い。おむつがきたな~いというサインは、全て、泣き声で教えてくれます。
それにしても、大きな声。
この様子は、お腹がすいた時の声です。まだ、入院直後は、母のおっぱいの出も少なく、満足に飲めなかったようです。
でも、赤ちゃんは、お腹の中で、指を使って、おっぱいを吸う練習をしていると母からききました。あかちゃんって、凄いですね。

とうとう、ベッドの上までいってしまいました。そんなに、小さいころからたくさん飲むと、大きな子になりますよ(メタボまではいかないでね)。
父より。


ご対面




1月4日、夕方。じいちゃん、はーちゃん、ニイニと保育園を終えたたっくんがやってきました。
まさか、産まれているとは、思っていなかったとのことです。
そういえば、母から連絡を受けた父が、じいちゃんとはーちゃんに連絡をすることになっていたのですが、その時間がなかったため、入院をしている母に会いにきたところ、病院のスタッフから、すでに産まれたということをきいたようです。

ニイニは、「えっ、小さ~い」とのこと。すでに2人のお兄ちゃん気分です。
たっくんは、まだ、あかちゃんのことが認められないようで、一人、談話室のイスに座って、赤ちゃんを見ようとしませんでした。

その後、病室に母ももどり、しばらく、新しい赤ちゃんと記念撮影をしました。

夜、熱田神宮に初詣に行っていたばあちゃんも病室に駆けつけました。
とにかく、無事に産まれてよかったとのこと。

そういえば、安産祈願を幡豆の小山田地蔵にお願いしていました。
小山田地蔵さん、ありがとうございました。

全てに感謝。父より。


新たな命


1月4日
母は、出産予定日から10日も遅れたので、この日から強制入院させられました。
朝から、陣痛促進剤を投与され、自然分娩の方向にもっていきます。

母からのメール 9時28分
ひとまずは、入院して、促進剤も始まりました。でも、入院時の診察でも子宮口は、まだ2センチで、あかちゃんも高い位置にいるようです。今日生まれるかな?

母からのメール 13時47分
促進剤効いてきました。今日中に生まれるかな?すぐでなくてもいいけど、仕事のきりがいいころで、来てもらいたいなと思います。

このとき、父は、会議中でしたので、このメールに気づきませんでした。
今から行くメールをしたのは、14時40分。

病室に着くと、偶然訪れていた母のお友達(助産師をめざしていて、このかたの旦那は父の同級生で少し前も一緒に飲んでいました)が背中をさすってくれていました。
その後、父がバトンタッチをして、背中をさすっていると、主治医の先生が外来診察の合間に来てくれました。

「そろそろ分娩台にいく?それとも、まだ、病室にいる?」とこの病院のスタッフ(助産師)でもある母に先生が尋ねていました。
「分娩台にいく」とのことで、父は、「エッ」。今日、産まれるんだと実感しました。

分娩室に行くと、先生が破水をさせてくれて、いよいよ出産シーンの始まり。
この病院では、最近、立会分娩が可能になったので、父も初めて立ち合います。

破水させてから、傷みが激しくなってきたのか、母がかなりきつそうです。
ドラマでしか見たことのない酸素マスクもつけられ(後で聞いたのですが、これは、赤ちゃんの心音が下がっていたので、母が酸素を多く吸うことにより、赤ちゃんを楽にする意味だったそうです)、父は、半分パニック状態です。

そうしているうちに、「う~ん」と母の声。あかちゃんの横顔が見えてきました。でも、なかなか、それ以降、体が出てきません。助産師さんがあかちゃんの顎をひっぱります。

「へその緒が巻かれている。へその緒を切ろう」と助産師さん。このとき、父は、この助産師さんがものすごく、かっこよく見えました。
へその緒を切った後、体が出てきました。出産です。

でも、そういえば、赤ちゃんが泣きません。でも、適切な処置により、すぐに赤ちゃんが元気のいい産声をあげました。
酸素ももらい、みるみる赤ちゃんも血色がよくなっていきます。

「よかったね。おめでとう」と分娩室。気がつくと、医師2人をはじめ、助産師のみなさんが6人ぐらいいました。
後で聞いたのですが、赤ちゃんの首の周りには、へその緒が5重にまかれていたそうです。母をはじめ、ベテランの助産師さんらも、5重にまかれていたのは、初めてとのことでした。そのため、陣痛が始まっても、赤ちゃんが、なかなか下におりてこれなかったようです。でも、へその緒が通常の2倍にあたる1メートル5センチあったため、下までなんとかおりてきたのかなとのことでした。

15時42分。3324グラム。またもや、元気な男の子でした。

出産後、母は、あまりの出産にビデオに向かい「コメントなし」とのこと。
お疲れ様でした。

でも、スタッフが多く、他に出産がなかったため、最高の状況で出産ができたと母。本当に、皆様、ありがとうございました。

2011年1月4日。新たに、一人の男子がこの世での暮らしを始めました。
皆さんも、応援してやってください。

全てに感謝します。
父より。



初詣


1月3日。みんなで、旧一ノ宮町(現豊川市)にある砥鹿(とが)神社に初詣にいきました。
ここは、三河の国の一宮であり、由緒正しく、毎年訪れているところです。
駐車場に着くと、父の職場の上司に会いました。父と母の仲人さんです。
仲人をしてくれた奥さんが母のお腹を気遣います。
「まだ、産まれないの」。
「こんなに(出産が)延びるとは、思っていなかったです」と母。
確かに、ニイニもたっくんも、予定日より早く、この世に誕生しました。

ちなみに、その後、仲人さんたちは、この神社の奥宮(本宮山の頂にあります)まで行って、額田で昼食をして、帰ったそうです。

さて、砥鹿神社では、いつも、お参りをして、お札を買い、エビスさまと大黒様の描かれた像を買います。

ニイニがおみくじもひきました。なんと、なんと、「末吉」。。。
でも、勉強を頑張ればいいことがあるそうです。
がんばれ、ニイニ!!

何をお願いしたかを聞いてみると、
ベイブレードの「ヘルケルベクス」というベイがほしいたっくんは、「ヘルケルベクスが買えますように」。
ニイニは、「ママのお腹の赤ちゃんが無事に生まれますように」とお祈りしたそうです。

みんな、ウサギ年。いろんなことにチャレンジして、飛躍の年にしよう!!





ベイブレード


ベイブレード。この言葉が男の子のあいだでは、大人気だ。父も、ニイニとたっくんが、毎週見てるテレビで知りました。どうやら、昔でいう「ベーゴマ」を現代版のアニメにして、そのベーゴマに色々と名前がついているようで、持久力あるものや攻撃性の高いものなどの種類があるらしい。

「スリー、ツー、ワン。ゴー シュート」と掛け声をあわせて、一斉に「ベイ」を回す。スタジアムと呼ばれる中で一気に4人まで回すことができ(もっと、出来ると思いますが)、様々な性格をもったベイが戦いを繰り広げます。もちろん、途中で、弾き飛ばされて、スタジアムの外に出てしまうと、「スタジアムアウト」になる。

ニイニは、DSも好きだが、ベイブレードも大好きだ。DSに比べ、目の負担が少ないから、まっ、いいかと父。先のブログでばあちゃんに会った後、もう1軒の家に新年のご挨拶に行きました。そこには、りこちゃんがいます。りこちゃんは、今年小学生ですが、「ベイブレードに参加したい」とのこと。父は、いつもベイブレードに付き合わされていたので、りこちゃんにバトンタッチをします。

りこちゃんには、りょうくんというお兄ちゃんがいます。でも、りょうくんは、本が大好き。動物が大好きだったため、いつも百科事典を読んでいましたが、この日は、筋肉マン。父が「ラーメンマン大好きだよ」というと「話が合いそうだね」とりょうくん。
ベイブレードも色々なキャラクターがあれば、こどもたちも色々なキャラクターがあります。それぞれの個性がどう開花するか、君たちが大人になるころ、父は、楽しみで仕方ありません。

御親戚の皆様。色々とごちそうさまでした。
あと、りこちゃんのお母さんであるえみちゃん。「1月4日生まれなら、私が手伝ってあげる」という力強いお言葉。ありがとうございます。



今年99歳!


1月2日、父の母の母。つまり、父からみるとばあちゃん。ニイニとたっクンからみると、ひいおばあちゃんに会いにいきました。

大正2年生まれのばあちゃんは、今年99歳。この年、今もなお、愛されている森永ミルクキャラメルが発売され、亡くなった俳優の森繁久彌氏が生まれた。このおばあちゃん。戦時中は、国のため、大阪の軍事工場へ働きに行くなど、様々な歴史的変化を考察してきた生き証人だ。

この日は、ばあちゃんも機嫌がよく、突然、歌を歌おうと言い出しました。こどものころ、父も昔は、ばあちゃんの歌う「黒猫のタンゴ」という曲を聞かされた。まだ、頭はしっかりしていて、計算が早く、今でも足し算を難なくこなすほか、孫までの生年月日をはっきり言うことができる。曲目は、もちろんお正月にちなんだ歌になった。

「この年のおばあちゃんは、皆、施設に入っているよ」。「幸せだね」という言葉が飛び交う。これから、日本は、超高齢化社会を迎えるが、個の尊厳を大切にしながら、どのように人々が年をとり、暮らしていくかが、今より問われる。
ウサギ年。この穏やかな空間がいつまでも続きますように。また、おばあちゃんがいつまでも元気で長生きしますようにとお祈りしながら、父は、2011年をスタートさせました。

おばあちゃん。また、会いに行くね!!


2011年1月3日月曜日

さなちゃん、だっこ~!



元日は、いつも、じいちゃん・はーちゃんのお宅にお伺いします。
父が新年から昼過ぎまで仕事だったため、途中から参加します。

この日は、じいちゃん・はーちゃん、我が家で4人(+お腹の中に1人)、健太郎家で5人、こうたろう家で3人が集合しました(子供たちだけで6人います)。

はーちゃんの美味しいおせち料理をいただきました。
そうそう、父と「はーちゃん」が捌いたブリも、しゃぶしゃぶで美味しく頂きました。
その後、健太郎家からいただいた大根と、ブリのあらで父がブリ大根をつくりました。
こちらのほうも、お陰さまで、好評をいただきました。

こうたろう家のさなちゃんは、今年の2月で1歳になります。
いま、人見知りが激しく、ママ大好きっ子です。

父は、ニイニに写真を頼み、一瞬の隙に、さなちゃんの写真を撮ることができました。
さなちゃん「あれ、誰にだっこされているの?」と言わんばかりのポーズですが、満足げな父が、そこにいました。

御親戚の皆様 今年一年、よろしくお願いします。
さなちゃんもね~。


2011年1月1日土曜日

新年 あけまして おめでとうございます




皆さま
新年 あけまして おめでとうございます
昨年は、色々とお世話になり、ありがとうございました。
本年も、何卒、よろしくお願い申し上げます。

うさぎ年
皆さんが、今年一年、幸せでありますように、
また、昨年以上に、あらゆる面で光り輝けますように、
心より、ご祈念いたします。

2011年 元旦