2011年10月29日土曜日

被災地にて2



被災地支援で駆け付けた父ですが、1週間の滞在の中で、1日だけ、お休みをいただきました。
ということで、宮城の隠れた秘湯、鳴子温泉に行ってきました。
ここは、鉄鉱泉など、様々な源泉があり、湯治場としても有名です。
5日連続勤務の疲れを癒し、次の日は、鳴子峡にて、紅葉を楽しみました。
そして、父は、南三陸町へと向かいました。
以前、このブログでも書きましたが、この地は、今回の震災で壊滅的な被害を受けたところです。
いよいよ南三陸町に入ると、中心部は、まだ、灰色の町一色であり、建物がほとんどありません。
仮設のコンビニエンスストアやガソリンスタンドが点在しているだけです。
わたくしたちが、ごく普通に実感している「生活感」という言葉が、ここでは、見当たりません。
防災対策庁舎にもいきました。
ここも、以前のブログで書きましたが、南三陸町危機管理課職員遠藤未希さん(当時24)が、「6mの津波がきます。高台に避難してください」と最後まで放送し続けたところです。
庁舎前には、献花台がありました。ここで、父は、未希さんのご冥福をお祈りしました。
最後、未希さんの声は、迫りくる津波の恐怖で声が強張っていたといいます。
未希さんは、どんな気持ちでこの庁舎に最後までいたのか。
この庁舎の上を津波がゆく。屋上では、町長がアンテナにしがみ付き、耐え忍んだ。しかし、この庁舎にいた30人のうち、20人が津波に流されてしまった。
庁舎前にたつと、本当にこんなことがここでおこったのか。自然の脅威をまざまざとみせつけられました。
しかし、南三陸町には、自衛隊がいち早くかけた橋がありました。また、いつもと変わらぬ、青い海が遠くに広がっていました。
復旧、そして復興。
今回の震災で数多くの方が命を落とされた中で、生き残されたものが負う使命があまりにも大きいと感じざるを得ませんでした。
父は、職場に戻り、「被災地を肌で感じて来てほしいと思います」とこれから被災地に向かう職員にメッセージしました。
『未希の未は未来の「未」。未希の希は、希望の「希」』。
未希さんの名前に込められた想いは、きっと、東日本の暮らしを取り戻す原動力になるはずです。

2011年10月27日木曜日

被災地にて



10月16日から1週間、父は、被災地の仙台に入りました。
父は、支援の傍ら、被災現場を訪れることができました。
写真は、仙台市荒浜地区。この小学校は、休校状態が続いており、周りには、民家があったとは想像できないほど、家の基礎だけが残っていました。
3月11日 午後2時46分。この日を境に、この地に住む人々は、今まで住み慣れた住家、そして行きなれた学校は流され、生活が一変してしまったのです。
父の支援しているところの職員の叔母さんが、荒浜地区に住んでみえたそうです。
そして、残念ながら、津波に流され、亡くなりました。
葬儀の際、参列者は、喪服や靴を友人などから借りて参列したそうです。
この地には、一つの鳥居が海に向かって立っていました。
津波の脅威にも負けず、ただ、静かに佇んでいます。
それは、もう二度と、海が、そして、大地が大きく動かず、この地の人が安心して暮らせるようにと言わんばかりに。
3月11日夜、父は、仕事場で、東日本大震災の被害状況の第1報をききました。
それが、この、仙台荒浜地区であったと記憶しています。「海には、数百の遺体が」と。
こんな大都市で、まさかの津波被害。
亡くなられた方のご冥福をただお祈り申し上げるしかありませんでした。
小学校を失った児童が、新たな地で、希望を持って、育ってくれますように。
震災から半年以上経過しても、まだ、仙台荒浜地区は、生活する「音」が聞こえず、ただ、波の音だけが静かに響き渡っていました。

2011年10月15日土曜日

被災地へ

明日から、父は再び、被災地にいってまいります。1週間、被災地支援を行ってまいります。
最近、階上(かいなみ)中学校卒業式の答辞が文部科学省の教育白書に掲載されたようです。
(以下抜粋)
階上中学校といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていた私たちでした。しかし、自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切なものを 容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。つらくて、悔しくてたまりません。時計の針は 十四時四十六分を指したままです。でも、時は確実に流れています。生かされた者として顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの 私たちの使命です。
(以下略)
まだ、多くの被災された方は苦しんでみえます。
少しでもお役にたてるのなら。
また、少しでも皆さんの気持ちが晴れるのなら。
そんな気持ちで、このブログを綴っています。

岐阜へ


10月9から10日まで、岐阜にある小島家の別荘に行きました。
ここに、じいちゃん一家、もちろん小島一家、こうたろう一家、そしてわたくしたち家族が大集合!
子供たちだけで7人(正確に言うとお腹にもう1人いるので8人)集まりました。
そして、恒例の「キラキラ杯」を開催。テニス大会では、子供たちも初参加(ニイニとなこちゃんは、初めてのテニスがとっても楽しかったようです)し、大盛り上がりでした。
結果は、じいちゃんチームが1位、2位はなんと、こうたろうチーム(父もペアで参加しました)、3位は我が家、4位は小島家でした。
父も、前回のキラキラ杯から打っていなかったので心配でしたが、とても楽しくテニスをすることができました。
夜は、小島家お手製の炭火で色々なお肉料理などをいただきました。美味しいお酒に、美味しい料理。子供たちも寝るのを忘れて、とても楽しそうでした。
次の日は、ゆっくりと栗拾いなどの散歩を楽しみました。小粒の栗でしたが、子供たちは、おおはしゃぎして、刺にさされながら?も懸命に栗拾いしていました。
秋の岐阜。紅葉は、もう少し、先のようです。