

被災地支援で駆け付けた父ですが、1週間の滞在の中で、1日だけ、お休みをいただきました。
ということで、宮城の隠れた秘湯、鳴子温泉に行ってきました。
ここは、鉄鉱泉など、様々な源泉があり、湯治場としても有名です。
5日連続勤務の疲れを癒し、次の日は、鳴子峡にて、紅葉を楽しみました。
そして、父は、南三陸町へと向かいました。
以前、このブログでも書きましたが、この地は、今回の震災で壊滅的な被害を受けたところです。
いよいよ南三陸町に入ると、中心部は、まだ、灰色の町一色であり、建物がほとんどありません。
仮設のコンビニエンスストアやガソリンスタンドが点在しているだけです。
わたくしたちが、ごく普通に実感している「生活感」という言葉が、ここでは、見当たりません。
防災対策庁舎にもいきました。
ここも、以前のブログで書きましたが、南三陸町危機管理課職員遠藤未希さん(当時24)が、「6mの津波がきます。高台に避難してください」と最後まで放送し続けたところです。
庁舎前には、献花台がありました。ここで、父は、未希さんのご冥福をお祈りしました。
最後、未希さんの声は、迫りくる津波の恐怖で声が強張っていたといいます。
未希さんは、どんな気持ちでこの庁舎に最後までいたのか。
この庁舎の上を津波がゆく。屋上では、町長がアンテナにしがみ付き、耐え忍んだ。しかし、この庁舎にいた30人のうち、20人が津波に流されてしまった。
庁舎前にたつと、本当にこんなことがここでおこったのか。自然の脅威をまざまざとみせつけられました。
しかし、南三陸町には、自衛隊がいち早くかけた橋がありました。また、いつもと変わらぬ、青い海が遠くに広がっていました。
復旧、そして復興。
今回の震災で数多くの方が命を落とされた中で、生き残されたものが負う使命があまりにも大きいと感じざるを得ませんでした。
父は、職場に戻り、「被災地を肌で感じて来てほしいと思います」とこれから被災地に向かう職員にメッセージしました。
『未希の未は未来の「未」。未希の希は、希望の「希」』。
未希さんの名前に込められた想いは、きっと、東日本の暮らしを取り戻す原動力になるはずです。